" 神が在るというその愛は、永遠に理解されない!

太陽光線は、決して太陽を理解できない。

私は、その太陽への太陽光線である。

あなたは、その太陽への太陽光線である。

故に、私達はただ一つの実体によって作られ、

その実体だけが永遠を通して私達を維持する。

よって、最も大きな喜びは、終わりなく無くあなたの道を照らす、

そのただ一つの光を受け入れることへと完全に降参することだ。"

~イエシュア「ハートの道(The Way of the Heart)」より

 

1987年7月に、イエシュア(イエス・キリスト)は、ジェイエムの前に現れました。

この驚くべき出来事は、多くの人に愛された本『イエシュアの手紙』に掲載されています。

哲学と心理学の教育を十分に受けた彼は、その経験をなかったことにしようとあがきました。

それでも彼は、このコミュニケーションが本物であるか、単に自分が起こしているのではないかどうか を知るための唯一の方法は、聖パウロが勧めたように、常に「神から来たものかどうかテストすること」-つまり、それに委ね任せてみることだと直感しました。

 

それから9年以内に、イエシュアは、ジェイエム自身の思考とは別の存在だという、十分なほどの証拠を提示し、数千人が彼のメッセージの深淵さに深くふれました。

 

1995年、イエシュアが提供した最初のシリーズ『The Way of the Heart』 が始まり、1996年『The Way of Transformation』、1997年『The Way of Knowing』へと続いていきました。


三部作の完成直後、イエシュアは、チャネリングの正式な期間が完了したと話し、「私たちの旅は、あなたをさらに癒しと理解と変容に導き続けるように、今や形を変えるだろう。今もなお展開する全てを信じ続けなさい。そうすれば、私達が常にあなたと共に居るということを知る事になる。」と言及しました。

 

そうして旅は続きました!

イエシュアは、初期のアラム語の教えの深さを明らかにし、繰り返されるテストと、エゴの深みを根本的に溶解させる幾度ものチャレンジをジェイエムにもたらし、個人的に学ぶために何年もジェイエムを指導しながら、ラブズブレスとラディカル・インクワイアリーと呼ばれる、他に類を見ない深い錬金術の幾つものステップを他の人たちにも提供しました。

 

“道” のテキストは、イエシュアが「奇跡のコースから始まった」と言ったものを、実質的に、更に進めたものですが、それは、概念や、論理をよりどころにする考え方から、“ 霊的交わりを感じる ” ことへと、呼吸を取り入れ、あるがままへと本当に移動することにかかっています。同様に、赦しの理解と方法論の両方についても、更に進んでいます。

彼は、物事が展開する、まさに特定の段階を通して全ての魂がどのように成長するかという、濃い深みを明らかにし、私達が本当に、キリスト思考に加わっていることを明らかにする道標として、それが浮かび上がる特定の質の、驚くほど明確な描写を私達に与える為に、彼自身の人生を使いながら、彼の個人的な経験についても、非常に多く話しています。

Way of Mastery        www.wayofmastery.com

Heartfelt Publishing PMA

加藤理恵(Love Healing Daichi)訳

2012年から、Way of Mastery に出会い、テキストを手に取り、仲間と共に歩いて来ました。

起きる出来事は、皆それぞれの問題とはいえ、魂レベルの成長は仲間が居なくては成り立たないものだったと感じます。

当時私が描いていたヒーラーとしての姿は、今は違う質のものを宿しています。

感情の置き換えや対処療法ではない、魂レベルの成長・錬金術は体験したものしか分からない深遠なもので、

本当に神の愛に満ち溢れるものです。

私自身、己の怖れや痛みと向き合い、今までの人生はいかに生き残る為の戦略として物事を選択してきたか気づかされました。

そして、その生き方では、本当に自分の怖れを手放すことが出来ないと分かりました。

怖れに怖れるのではなく、人間的エゴに傾倒するのではなく、

自分は光であり、愛であり、神の恩寵を受け取ることができる、神の一人子である存在だと全てを委ねる生き方にシフトしました。

 

もちろん、まだまだ人間的エゴが浮上します。

でも、そのひとつひとつの出来事は神からの贈り物なのです。

私達が、魂の戻る場所に帰るための敷石ということが分かっているので、

その、怖さや痛みを丸ごと抱えて、闇に光を与える生き方を選択していきます。

 

“ 魂の生きた悟りの旅 ” 

この言葉に心がざわついたあなた!

この体験をするのは、次はあなたの番です!

仲間に加わり、一緒に歩いて行きませんか?